はちまんやまのごしんたい

ひろく、みんなに親しまれている、日本中の数万の「はちまんさま」はどこもみな、応神天皇を御神体としています。応神天皇は、実在の天皇の中では最古とされています。

神功皇后が、神懸かりでお産みになったので、王神――応神となりました。

豊前の国(今の大分県宇佐)にて、「我は15代の応神天皇なり」と宣言して、近畿から、西日本一帯を平定して、4世紀末の優れた王との記録が有ります。(今でも、全国の八幡さまの総本社は大分県の宇佐八幡宮となっています)

このように、軍事的な勢いから、応神天皇――八幡神とされてきました。

源義家が「石清水八幡宮」(京都府八幡市)にて「八幡太郎義家」を名乗り、その後鎌倉幕府が「鶴岡八幡宮」を篤く祀ったことから、ますます八幡さまは、武将の神様、戦の神様、勝負の神様となってゆきました。

その、石清水八幡宮は、平安京が造られた時の南方の守り神として祀られました。

その頃から、伊勢神宮と並んで、皇室や、平安京の守護神となり、火の神、水の神、母子の神として、武将以外にも、広く民衆に慕われるようになって、津々浦々の街々に祀られるようになってゆきました。

当「八幡山」では、この歴史深い「応神天皇」の騎馬像(運慶作)を総金箔が施されたお社(1780年頃)にお納めして町会所にてお祀りしています。