2017年八幡山ブログ 京都祇園祭

京都・祇園祭の八幡山の話題や行事日程に限らず、2017年の京都・祇園祭の様々な山鉾町の様子を写真を交えてご紹介していきます。

昨年度募集させていただいた奉賛を本年度も募集させていただきました。詳細はブログに掲載しております。

八幡山では、今年のお正月も1月1日の朝10時に、町内の皆さんが「はちまんさん」に集まって、新年の挨拶を交わしました。

今年の行司さん達が、朝から神前の飾り付けをされました。

10時前になると、次々に皆さんが来られます。

10時キッチリに、全員で拝礼してから、御神酒を頂きます。

https://www.youtube.com/watch?v=u9Q6ly_sXqw&t=0s

今年の行司さんの長から、挨拶とお知らせを聞いてお開きです。

今年も無事にお祭りが挙行出来ますように。(萬)

元旦の拝賀式から始まって、今年もいよいよ八幡山が動き始めました。

役員さんが集まって、昨年の反省と共に今年のスケジュールの確認です。

これからも、或るときは10数人、或るときは2.3人が集まっていろいろな相談事や対外的な作業を行います。(萬)

八幡山HPの開設後、今年で丁度10年になります。

当初の数年は、形式が固まるまでに紆余曲折有り、画像や資料厚めに苦労して、度々会議をして居りましたが、5.6年目くらいからはやっと落ち着きました。

その後は、記事の中に変更部分を見つけて更新したり、八幡山の日々の様子をブログに掲載する作業だけになりましたので、長らく集まって居なかったのです。

先日は、いろいろな提案を持ち寄って久しぶりにメンバーが集まって会議の開催です。

短時間の予定が、いろいろな話題が出て2時間ほどになり、再度近いうちに集まる事になりました。

こうして集まると、HPの事だけでは無く、お祭りについてのいろいろな話しが出てくる。これもとても良い事だと思います。

またまた、HPの充実の為に、みんなで努力致しますので、皆様これからもよろしくお願い致します。(萬)

八幡山は、高倉小学校の区域に属していますので、常日頃から学校や、生徒さん達との交流は多く有ります。

特に祇園祭では、高倉小学校の五年生が八幡山の厄除け粽造りのお手伝いに来てくれてもう二十年以上になりますし、宵山には、その粽売りのお手伝いに連日出掛けてきてくれます。

http://blog.mugendos.com/wp-admin/post.php?post=16077&action=edit  これは、昨年の粽造りの様子です。

粽売りの童唄と共に「粽どうですかー、鳩笛鳩鈴どうですかーー」と言う、可愛い声が宵山の参拝客の笑みを誘っています。

その高倉小学校が、昨年の12月に「第四十七回博報賞 文部科学大臣」を受賞されて、そのお祝いにこのような記念誌が発行されました。

粽造りの他にも、粽の原材料「チマキササ」の原産地へ行って調べたり、それを学校で栽培出来ないかと検討したりしています。

また、祇園祭には欠かせない「ヒオウギ」を栽培して、山鉾町の宵山に飾らせてくれています。

その他にも、世界文化遺産の「京料理」の体験や、魯山人の陶器を調べたりして実に意欲的な活動をしています。

 

記念誌と共に、八幡山にもこのように立派な器を頂きました。

今年も、高倉小学校の子供さん達、粽造りと粽売りをよろしくお願いします。(萬)

毎年八幡山へ、沢山の御奉賛をありがとうございます。

皆様からの浄財は、お山の為に有効に使わせて頂いて居ります。

少し遅れましたが、今年も一口三千円で御奉賛の申し込みをお受け致しますので、よろしくお願い致します。

八幡山HPの「お問い合わせ欄」へ「お名前、住所、メールアドレス、申し込み口数」を書き込んで頂きましたら、折り返し「確認のメールと、振り込み先」を連絡させて頂きます。

直、勝手ながら申し込みの締め切りは本年7月21日13 時、送金の締めきりは本年7月24日15時とさせて頂きます。

例年通り、御奉賛頂いた方には、7月末頃に、厄除け粽などの「奉賛お礼」を送らせて頂きます。

天明年間の作とされている、八幡山の総金箔のお社を、京都市文化財保護課、彫金加工業者、山鉾連合会の方達に、詳しく検分して頂きました。

お祭り以外には見ることの無い大事なお社を、町会所に出して隈無く調査です。

こんなに近くで、ゆっくりと見るのは、町内の我々も初めてです。

目視検分、撮影、スケッチなど入念に行われました。

 

近くで見ると、実に細やかな細工が施されています。

今年も7月21.22.23日の宵山で会所に飾り、24日にはお山に載せて巡行します。

貴重な文化遺産ですから、町内の町衆の人達と共に、長く後生にに引き継がなくてはなりません。

 

詳しい調査結果は、後日まとめて頂けるそうですが、製作時期が、天明年間のより何年か遡った時期になりそうとのことなので、楽しみです。(萬)

 

享和元年に建てられた八幡山の土蔵からは、大事な懸装品や所蔵品の他に、いろいろな古文書も多々見つかりました。

数年前に見つかった文書は、充分に点検の後、京都市歴史資料館に預けました。

この度、またまた別の処からたくさんの文書が見つかったので、市の関係者に調査に来て貰いました。

100年以上前の八幡山の様子が、様々な角度から判る貴重なものでした。

あらかた全体を一読して、全てを撮影。これからゆっくりと検分して頂けるそうです。

それが済めば、また資料館に預かってもらう予定です。

お金に替えられない、貴重な古文書の数々を大事に検証して保存したいと思います。

お祭りの継承も大切なことながら、こうしてかけがえの無い歴史遺産を時代に引き継ぐのも、我々の努めです。(萬)

八幡山では、2月3月からお祭りに向けていろいろな準備作業に取りかかっていますが、6月に入り、いよいよ今年のお祭りを運営する「行司さん達」の初会合が開かれました。

全ての山や鉾の代表者が集まる、山鉾連合会の打ち合わせ会も始まりました。

今年の八幡山は、主行司さん(左に立って説明している人)を中心にして、この方達が頑張ってくれます。

詳細な予定表を確認しながら、それぞれの神事に誰と誰が出るかとか、どの物品は誰がいつ準備しておくかとかの相談がされました。

もちろん、大勢の手が必要な21日の山建て、24日の巡行飾り、25日の山仕舞などは、行司さんの他にも町内全員が参加します。

6月早々には、巡行当日に八幡山の正使、副使が手にする「白扇」の加工も発注致しました。

毎年、町内の長老の書に八幡山の印を押して、製作して貰います。

巡行当日に、お山を担いでくれるボランティアさん達が履く「わらじ」も準備出来ました。

7月2日の市役所での「籤取り式」から、京都の街はお祭りムードが次第に盛り上がります。(萬)

7月2日に、祇園祭山鉾34基(お休み中の鷹山を含む)の代表が、市役所に集まって、17日の前祭巡行と24日の後祭巡行の順序を決める「籤取り式」が有りました。

市長さんの前で、八幡山の引いた籤を披露しています。

 

この籤は巡行当日に、漆塗りの文箱に入れて持参して、市長さんに検分して貰います。(萬)

 

八幡山には、車輪もお囃子も有りませんので、長刀鉾を見に行きましたら丁度お稚児さんが「太平の舞」を披露してくれていました。

ちょっと緊張気味のお稚児さん。これから、まだまだ大事な神事を控えて居ますよ。

お稚児さんをサポートする、禿の二人。

長刀鉾の町会所で、見事に「太平の舞」を舞ってくれました。(萬)

八幡山町内の人と、子供達が造った「厄除け粽」や、手拭い、団扇などを車に満載して、八坂神社へ行き、お祓いを受けに行きました。

 

先ずは、10本の粽を広蓋に載せて「八坂神社本殿」へのお供え用とします。

 

 

本殿で祝詞を上げて貰ってからは、車の方でうやうやしくお祓いを受けます。

 

 

 

町内戻ると、もう皆さんが待機中。

 

 

 

みんなで協力して、町内の各家庭や会社からの受注に応じて配布します。

 

町内のみなさんは、これらの厄除けを、お祭りの間に、親戚友人に別けられるのです。

町内の皆さんと、その人達にまつわるみなさんに、厄が来ませんように。

 

 

八幡山では、お山の維持の為の「御奉賛」をお願いしております。

このHPの中に、お申し込み記事が有りますので、是非そこへ御投稿ください。

詳細をお返事申し上げます。(萬)

八幡山では毎年、近くの小学校の子供さん達に、厄除け粽作りを体験して貰っています。

8日には、先ず26人の子供達がやってきました。

その為に、子供達の指導員をまず養成します。

先ずは、祇園祭の事、厄除けの事を聞きます。

それから、学生さんや町内の人達が、一人に5.6人の子供達を担当して、粽造りです。

無事に、体験が終りました。この粽は、宵山の21.22.2日に、参拝のみなさんにお分け致します。(萬)

7月11日は、120人の子供さん達が「八幡山の厄除け粽造り」の体験に来ました。

やはり、祇園祭に付いて、厄除け粽についてのお話を聞いてから・・。

一人の指導員が、5.6人の子供達を担当して指導します。

 

指導員にはベテランの人も居ますが、経験の浅い人も居ます。でも、一生懸命に教えると、子供達にもそれが伝わって、出来上がりが綺麗です。

https://www.youtube.com/watch?v=boR0xxXmTe8

八幡山で配りしたり、販売したりする「厄除け粽」は、子供達が造る数ではとても足りません。

後日、町内の人が35人程集まって全部を仕上げます。

町内のお宅をお借りして、数時間、いろいろとお喋りをしながら仕上げます。

これも、町内の人達のコミニユケーション維持に大いに役立っています。(萬)

7月6日夕刻、大船鉾の、二階囃子にお邪魔しました、収納がし易い、会所(町家)です。

会合や、お囃子の稽古も余裕で出来る、広くて綺麗な会所。

    大改修の、記念植樹

再建後、数年の鉾ではありますが、町内の皆さんの熱意で次々と前進されています。

今年は、購入できた町会所の念願の大改修が竣工で、大張り切りされてます。

その、大船鉾さんの二階囃子へ表敬訪問に行きました。

 

20数曲ある、大船鉾の演奏曲は20から30曲です。演奏する曲の札をこうして立てて、みんなに知らせて居るのです。

 新装なった大船鉾の稽古部屋。

丁寧にお礼を述べて失礼するとき、外からも拝見。京都らしい風情です。

 

大船さんからの帰途、月鉾でも二階囃子。

放下鉾でも、二階囃子をしていました。

北観音山でも二階囃子

 前祭の 巡行は7月17日。みなさん、元気にお勤め下さい。

 

 

これは、昭和年61年に新調された八幡山の前懸けです。

この中に有る「漢詩」が、なかなか解読出来なかったのですがこのほど、とある人が訳してくれました。

この前懸け図案は、こんなに小さな元禄時代の八幡山の見送りの文字を赤外線カメラで撮影して判読したものです。

織りや、刺繍が殆ど無くなっていますが、カメラにはこのような図柄が出て来たのです。

このどちらの裂も、21.22.23日の宵山には、八幡山で展示します。

是非お出かけ下さい。(萬)

 

 

この漢詩の翻訳は、以下のとうりです。

 

 

 

 

今年の祇園祭、後祭巡行は、天候に恵まれて無事に終えられました。

八幡山が京都市内を巡行して、町内に戻り皆さんから拍手を頂いて居る時の画像です。

今年も、遠近様々な方面の沢山の方々から御奉賛を頂いて、誠にありがとうございました。

御奉賛お礼の厄除け粽などを、お送り致しましたのでお受け取り下さい。

浄財は、八幡山の維持の為に大切に使わせていただきます。

今後とも、八幡山への御支援、御注目をよろしくお願い致します。

遅れて居りますが、これから少しずつ今年のお祭りの様子を掲載させていただきますので、是非御覧下さい。(萬)

17日に前祭の二十三基が、八幡山の町内を巡行すると、翌日からは後祭十基の鉾建て、山建てが始まります。

八幡山も、1年ぶりに土蔵から出されたお山の部材が組み始められました。

八幡山の芯になる「松」を建てる為の柱は、天保7年の製作です。もう、190年にもなります。

 

中には、宝永年間作(330年前)と掛かれた物も有り、先人が苦労して修理しながら維持してこられたことが判ります。

八幡山の四方柱が組み上がりました。

これに、沢山の縄を使って「縄がらみ」を施します。

 

平成26年、150年ぶりに再建された大船鉾さんでも組み立てが始まりました。

21.22.23日の宵山と、24日の巡行に向けて、いよいよ始動です。(萬)

八幡山所蔵の、海北友雪の「祇園祭絵図」は、もう何十年も京都国立博物館に預けています。

この屏風は、数年前まではお祭りの時だけ受け出しに行って皆さんに披露していましたが、日立さんの協力で大変リアルなデジタル複製が完成してからは、それを展示しています。

八幡山の町会所では、このように宵山の21.22.23日に展示して、350年前の祇園祭巡行と神輿渡御を解説しています。

 

この度、国立博物館の「とらりんブログ」というコーナーで、八幡山の屏風を詳しく掲載して頂きました。

http://torarin.jp/blog/page/2/  このブログの中の、7月14日の記事です。是非御覧下さい。(萬)

21日の朝から、町内総出で町会所の飾り付けとお山の常飾りをして、八坂神社から神官をお迎えして「清祓い」の儀。

今年もお祭りが無事に執り行える様にお祓いして貰います。

今年の責任者は「主行司」と呼ばれ、紋付き羽織袴着用で、他の人も正装または、お揃いの浴衣です。

お下がりのスルメと昆布を頂いてから、御神酒も頂戴します。

 

駒形提灯を懸けたお山の前で、記念撮影。

 

さあこれから三日間、大勢の参拝客をお迎えして粽や鳩笛をお授けし、24日には巡行です。(萬)

八幡山の会所飾りを21日から始めて、お山にも宵山飾りをして、駒形提灯を揚げました。

天候に恵まれて、多くの参拝者や観光客が来られて、厄除け粽、鳩笛、鳩鈴もたくさん売れます。

7月23日の宵山に門川京都市長が、今年も八幡山の会所を訪れて頂きました。流石に、いつも着物。

お山の前で、八幡山のみんなと一緒にパチリ。

明日の巡行では、市長さんが奉行役で巡行順序の籤を改められます。(萬)

7月24日は、いよいよ巡行当日。

曇り空でしたが、雨の心配は無く、朝6時50分に町内・住民と協力者の方々が集まり「八幡山」の巡行飾り付けを行い、午前8時頃に完成。

その後、巡行のお供に行く為、急いで裃姿に着替え、8時20分に集合して、記念写真。

この後、皆さんに見送られて、8時30分に町内を出発しました。

烏丸御池、八幡山出発前のお供の人達。

日頃の服装と違い、裃に一文字傘を手にしていると、別人のように凜々しく見えます。

御池通りで、お山の後を歩く八幡山の人達。強烈な日差しが無いので助かりました。

今年の八幡山が引いた巡行籤は「第三番」ですが、毎年「籤取らず」で先頭の「橋弁慶山」次が「北観音山」が先行するので、実質は五番目の巡行です。

すぐ後に、これも籤取らずの「南観音山」が来るので、お囃子を聴きながらの巡行でした。

御神輿をお迎えする前祭(神幸祭)は23基の山鉾ですが、御神輿をお送りする後祭(還幸祭)は10基が巡行します。

17日の前祭の巡行順序とコース。23基の山鉾の町会所も判ります。

同じく、後祭の巡行順序とコース。コースは同じですが、前祭とは、全く逆に巡行します。

これも、お迎えとお送りの意味合いからでしようか?70歳過ぎの若造には、祇園祭の判らないことばかりです。

巡行中の記念撮影。真ん中で赤い花を付けて居る人が、今年の八幡山の主行司(全ての采配を奮う)さんで、その右が「籤改めの大役」の高校生です。

御池通り、河原町通りを巡行してから、四条の御旅所で八坂神社に拝礼。

それからは還り巡行で、ホッとすると共に、疲れも出て来ます。

丁度正午、無事に八幡山の会所に戻り、町内の皆さんから拍手で迎えられました。

それからは、市中を巡行してお山集めた悪霊が悪さをしないうちに、お山を解体します。

翌25日は、また町内の人が総出で沢山の懸装品を収蔵庫に収めます。(萬)

 

24日の昼に、後祭巡行が行われた夜は「還幸祭」です。

八坂神社の神官や稚児と神宝を抱えた何十人もの行列を先頭に、三基の神輿が市内を練り歩いた後、八幡山の傍の三条通を通ります。

そして、八坂神社に還られるのです。

八幡山のみなさん、揃って還幸祭をお見送りです。

中御座、東御座、西御座の三基には、それぞれ数百人の担ぎ手が付いています。

 

17日の神幸祭と24日の還幸祭の、御神輿渡御のコースです。

 

 

還幸祭には、毎年「丹波八坂太鼓」の人達が演奏でお祭りを盛り上げてくれます。

7月24日の後祭巡行、25日の山仕舞い(収納)を終えて、八幡山の町衆は恒例の「慰労会」で集まりました。

10年ほど前までは保存会役員さんだけの会でしたが、お祭りの為に裏方として頑張る奥様方(女性陣)の為、また町内の親睦を深める事も目的として、全世帯家族ぐるみの参加となりました。今年の行司さんから挨拶が有り、晴れ着の人やお揃いの浴衣の人達、いつもの親しいメンバーが一同に介しての宴席の開宴です。今年もご苦労様でした。

ファミリーで参加の方は、お子さんも一緒。

 

お祭りでの話題はもちろんの事、町内での出来事、家庭内のお話などが出てきて、貴重な時間を過ごされています。美味しい料理もたくさん出ました。

景色の良い会場で、京都の西山が眺められます。

 

2時間余りの楽しい時間を過ごして、いよいよ来年(平成30年)の行司さん達(お祭りの当番者)の紹介です。

八幡山では、町内の皆さんを2組に分けて、それぞれの組が交互に行司当番を担当します。

その行司さんの長が「主行司さん」(おもぎょうじ)です。

もちろん、行司さん達は頑張りますが、その他の人達も人手の必要な時には全員お手伝いに出ます。

来年の主行司(八幡山の理事長)が、メンバーの紹介をして、皆さんの協力を依頼して「慰労会」のお開きです。

 

会場のロビーでは、仲間同士、家族毎に晴れやかな撮影会です。

 

頼もしい優しい、心の行き届いた八幡山の皆さん、来年もみんなでお祭りを盛り上げましょう。(萬)

 

 

八幡山の御神体は、八幡市の石清水八幡宮を分詞して居ります。

その石清水さんをお山に勧請して、祇園祭の巡行を行っているのです。

そこで、年に一度は石清水さんから神官を招いて「放生会」を営みます。

今年も盛夏真っ盛りの8月10日に、朝から神前飾りをして、町内の人が揃って神官を待ちました。

 

  「放生会」とは、仏教の根本思想である「不殺生」、すなわち生命の尊重・慈悲の精神から、魚・鳥獣などの生き物を放流する行事のこと。

人間はこの世の生き物のお陰で自身が生きながらえている、そのことに感謝し生き物の霊を弔うのがこの行事の大きな目的です。

歴史的には677年(天武天皇5年)に詔が下され諸国で行われたのが初見で、寺社としては720年に大分県の宇佐神宮ではじまった宇佐八幡宮放生会が嚆矢とされ、現在はその宇佐神宮をはじめとする全国の

八幡宮社で行われるほか、収穫祭の意味も込めて春や秋に全国の寺院でも開催されています。

 

開式3分前。

 

 

神官の祝詞と玉串奉奠に続き、町内代表も玉串を捧げて、無事に神事終了。

 

 

お下がりの、昆布とスルメをつまんで、御神酒を頂きます。

先ずは、今年の主行司さんから。これで、殆どの神事を終えるので、安心してついつい笑顔がこぼれます。

ご苦労様でした。

 

八幡山の理事長も、御神酒を。

今年のお役を終えた行事さん達は、あとは事務的な作業を残すだけで、無事にお役御免です。

12月13日の「事始め」から、来年の行司さんに引き継がれます。(萬)

七月のお祭り、八月の放生会の神事を終えた八幡山では、大きな行事が無く、今年の決算や来年の予定組みなどを静かに行っています。

町会所の小さな手直しや修理、書類の整理などもこの時期にします。

10月24日と11月7日には、役員会議を開き、今年の反省と決算報告、来年の予算と行事予定の検討などを確認致しました。

12月13日の「事はじめ」には、今年の行司さんから来年の行事さんへの引き継ぎも行われます。

それで、いよいよ来年のお祭りの準備が始まります。(萬)

 

 

 

 

 

八幡山では、毎年のお祭りで、多くの灯りを点けます。

懸装品を展示する町会所や、粽や御守りを売るためのテントの照明。

    

 

それに、道路に飾る「お山」の前後の駒形提灯の灯りや、多くの参拝者が歩かれる参道も照らします。

これらに、様々な長さや形の違った電気コードや電球を使用致します。

 

 

毎年のお祭りの前には、消防署員の人に漏電検査をして貰うのですが、もしショートして大切な懸装品や提灯を傷めることが有ってはいけないので念のために点検をしておきます。

土蔵から、全部を出してきて、ひとつひとつ点検をしました。(萬)

 

八幡山では、一年間の全ての神事を執り行う係を「行司さん」と呼びます。

その行司さんの長が「主行司さん」(おもぎょうじ)

毎年、12月13日の「事始め」に、行司さんの交替ひきつぎを行います。

今年も12月13日に、平成29度の、右の主行司さんから、平成30年度の、左の主行司さんへ書類一式や、収蔵庫の鍵が引き継がれました。

 大事な土蔵の鍵や、巡行マニュアル等と、いろいろな申し送り事項も伝えられて、無事に引き継ぎが終わりました。

新しい行司さん達は、暮れのうちに4カ所の注連縄を新しく懸けて、元旦の「拝賀式」の準備に掛かります。(萬)

八幡山では、7月のお祭りで、大小様々な大きさや形の違う提灯をいろいろな場所に100個ほど掲げます。

その内でも、一番大切な本殿の両脇に懸ける提灯の傷みが余りにも酷いので、この度新調しました。

左が旧、右が新です。ひだりの物は、おそらく、70年から80年前のもので、よくまあここまで・・と言う感が有ります。

今度のお正月の、拝賀式には新しい提灯を懸けて、皆さんで新年の拝礼を行います。

 

 

廃棄予定の提灯。裏側がとても激しい傷みでした。

 

これは、お祭りの時だけに設置する「八幡山の冠木門」の左右に懸ける提灯。

これも、だいぶん年期が入って居るので一緒に新調しました。

こちらはまだまだ使用に耐えられそうなので、雨模様の日には、旧を、天候の良い日には新をと、使い分けて懸ける事になりそうです。(萬)

今年も八幡山は、何の大禍も無く、無事に大晦日を迎えることが出来ました。

元日の拝賀式の準備を、行司の皆さんで致しました。

玄関には、八幡さんのお使いの鳩を染め抜いた幔幕を懸けます。

お社、収蔵庫、土蔵、玄関の4カ所の注連縄の準備。奉書を切って、御弊を造ります。

この御弊は、前に前に折ります。

元禄時代の土蔵にも、注連縄が懸かりました。

奉書を巻いて、水引を懸けます。

 

左右逆に巻いて、巻き終わりが内になるように左右を決めます。

 

 

これを、御神酒徳利に立てます。

この徳利の御神酒を、元旦拝賀式で町内の皆さんで頂きます。

これで、拝賀式の準備が出来ました。(萬)